Vol.21 みちのくツアー’97旅日記


 昨年の夏、ニューワールド仙台大会で初めて本場のみちプロを観ました。ついでに観光をして、名物を食べて、楽しい旅になりました。サスケは頭蓋骨骨折で欠場し、変わりにデルフィンがメインに登場しました。東郷に反則勝ちながら、「サスケのいない間みちプロは俺が守る」と力強く宣言しました。
 あれから1年、みちプロの状況は大きく変わりました。デルフィンは無様な試合をして失踪中。サスケとTAKAは海外遠征。人生はFMWに参戦です。ここはデルフィンに復活してもらわなければ。しか し・・・。不安を胸に今年もみちのくツアーに出発しました。

7月19日 八戸

 新幹線で盛岡へ。東京から約3時間半かかりました。昼食は盛岡名物じゃじゃ麺を食べました。なかなかいけました。そして特急はつかりで1時間、八戸に到着しました。駅から見渡す所、ただ田んぼばかり、随分遠くに来たなあという感じでした。会場と宿は八戸からさらに電車で10分程の本八戸という所。ここは多少賑やかな街がありました。
 第1試合で新人の瀬野選手がデビューしました。新人らしく、ひたむきで好感の持てる選手でした。星川のヘッドバットで「ゴツン」というもの凄い音が聞こえたのには驚きました。小さな会場ならではのことです。
 この日の注目は二つ。まずはデルフィンが現れるかどうかでしたが、残念ながら遂に姿を見せませんでした。急きょ正規軍体海援隊の8人タッグになりました。デルフィンがいなかったのは寂しいですが、浪花、星川、薬師寺が予想以上に頑張り、とてもいい試合でした。そしてもう一つはサスケの壮行試合です。タイガーマスクと渋めの試合をして勝ち、マイクアピール。久し振りにサスケを観れて満足でした。
 とても近くで観られるというのは地方興行の素晴らしさです。みちのくの選手は小さいと思っていましたが、確かに背は低いけど、体はでかいです。やはりレスラーは鍛え方が違うという感じです。
 夜は宿(ビジネス・ホテル)に戻って、近くの料理屋で刺身定食を食べました。この季節、盛岡はやはり魚介類だそうです。満足しました。

7月20日 北上

 特急はつかり、新幹線と乗り継いで北上へ。約2時間でした。うに丼の店があるというので、行くことにしましたが、道に迷い、結局あきらめました。暑い中を延々と歩きかなりバテました。適当に昼食を済ませ、会場へ、ここも分かり難い所で、結局タクシーに乗って、連れて行ってもらいました。
 メインでは浜田が頑張り、正規軍が勝利したので、ホッとしました。海援隊は生で観るまでは、ただ嫌いなだけでしたが、実際は確かに強くて、うまいし、実力もありました。それでも、やはり私は正規軍を応援したいと思います。
 この日は北上から車で30分くらいの瀬美温泉に泊まりました。露天風呂で気持ちが良かったです。(混浴ではありませんでした。)

7月21日 松島

 最終日、新幹線で仙台に移動。そして仙石線で松島海岸へ。採れたての貝などをその場で焼いてくれる店があって、そこで昼食にしました。しかし、もう少し歩けば、昨日食べ損なったうに丼もあったことに気づき、少し悔しい思いをしました。何だか食べて移動して、プロレスを観ての繰り返しのようですが・・・。  3日間連続となったヨネvsウイリーは、もうどこで何をやってというのが完璧に分かってしまいます。それでも面白いから不思議です。グラン浜田と一緒に記念撮影をしました。とても気さくでいい人です。でも、売店にいて、近くに行くとTシャツを売りつけようとするので注意しましょう。背は小さいのに、あの体は半端じゃないです。まさに「小さな巨人」でした。
 帰りの新幹線は結構混んでいましたが、時間を遅らせて、指定席が買えました。その間、仙台の街をフラリとして、牛タンを食べました。新幹線では爆睡しました。3日間の強行日程で、かなり疲れました。もちろん、とても楽しかったですけど。しかし、こうして旅しながら試合をしているレスラーの体力は改めて凄いもんだと感じました。
 3日間、楽しい旅でしたが、唯一の心残りはデルフィンです。早く復活して欲しいと思います。


プラム麻里子選手追悼レポート

 試合中のアクシデントにより頭部を強打したプラム麻里子選手が8月16日午後6時25分、急性脳腫張により帰らぬ人となりました。
 関節技の女王と呼ばれたキレのいい飛びつきヒザ十字ももう見ることが出来ません。個人的には、欠場中で売店にいたプラムからパンフレットを買ったことが印象に残っています。
 翌17日、後楽園でJWPの昼夜連続興行が行われました。この悲しいニュースを知らなかった私にとって、この日はJWPのプロレスを満喫し、キャンディー奥津の引退を惜しむ一日になるはずでした。会場に訪れた大多数のファンも同じ気持ちだったと思います。
 試合前は、まったくいつもと変わりない雰囲気でした。グッズ売場には、尾崎、福岡、キャンディーらがいて、ファンに笑顔で対応していました。
 しかし、試合開始直前に千葉リングアナの「大変悲しいお知らせをしなければなりません」の一声と伴に、選手が全員リングサイドに集まり、ただならぬ雰囲気となりました。悲報が告げられると会場は一瞬騒然とし、そして重苦しい空気に包まれてしまいました。一分間の黙祷が捧げられましたが、ファンのすすり泣く声も聞こえ、選手も泣いていたようです。
 それでもいつも通りに試合が進められました。ファンもいつもの様に声援を送っていました。悲しみに耐えて、精一杯のファイトをし、笑顔まで見せてくれた選手たちは本当に立派です。それでも、その思いが伝わってしまうので、見ていて辛かったです。この日は他団体の選手が何人か出場していて、元川やアジャが明るいプロレスをしてくれたのは救いでした。
 プラムは長期欠場し、復帰した後はまったくいい所がありませんでした。本人も「体がついていかない」と語っていましたし、同期の尾崎とキューティーに完全に遅れを取っていたことは誰の目にも明らかでした。最近の試合では、得意技だった雪崩式フランケンシュタイナーも成功したのを見た試しがありません。トップロープに登った時点でもう危なっかしくて、いつも失敗してはプラムが頭から落ちたり、相手の選手が危ない 角度で落下したりして、ヒヤヒヤさせられました。
 会場では「試合中のアクシデントにより」としか発表されなかったので、フランケンシュタイナーを失敗してリング下にでも落ちたのかと思った程です。尾崎のライガーボムでということを伝え聞いて、なんであの技でと思いました。医師の話しによると「以前から脳に腫れがあったのではないか」ということでしたが、今にして思えば、あの頃から脳に異常があり、バランス感覚がおかしくなって、失敗を繰り返していたのかもし れません。
 翌日のスポーツ紙は一面でこの事故を大きく報道しました。こんなときでもスポーツ紙の一面にこだわってしまうのはプロレスファンの悲しい性ですが、試合中のアクシデントによる死亡事故は日本マットでは初めてということで、それだけ社会に対しても大きな衝撃だったということでしょう。
 そして心配していた通り「甘い健康管理を問う」といった記事が見受けられました。普段は何も言わず、事件があったときだけ一斉に書き立て、時間が経てばまた沈黙してしまうマスコミの風潮は大嫌いです。ありきたりの批判をするだけではなく、マスコミの力で音頭を取って、統一コミッショナーを作るなり、健康管理のルールを作るなりして欲しいです。本当にそう思います。
 しかし、確かにプロレスは一歩間違えば死の危険があるものであるわりには健康管理といった面ではずさんな所があるというのも事実です。JWPやその他多くの団体にはリングドクターがいません。統一コミッショナーがいませんから、全団体共通のルールもありません。インディー団体では充分に鍛えられていない人がプロレスラーとしてリングに上がっているという状態です。そして技の過激さはエスカレートする一方です。
 ファンはより凄いものをレスラーに求めます。以前FMWの鍋野選手が頭蓋骨にヒビが入っていたのに気づかずに試合を続けていたという危険な話しも、レスラーの勲章であるかのように受け止めていました。私たちファンもこの事故を教訓に考えなければなりません。今まで事故が起きなかったのが不思議なくらいの現状です。レスラーも関係者も考えなければいけません。
 プラムはいつまでも選手が悲しみに沈んでいることを望んではいないでしょう。今まで通り明るく、楽しいプロレスを続けて欲しいと思っているはずです。JWPは選手も少なくなってしまって、本当に大変でしょうが、頑張ってもらいたいと思います。例え二、三試合しかカードが組めなくても観に行きますから、一人で二試合もしなくていいです。無理しないで頑張って下さい。応援します。そしてプラム麻里子選手、長い間、 楽しませてくれてありがとう。お疲れ様でした。安らかに眠って下さい。