VOL.118 追悼 破壊王 橋本真也
1965年7月3日 | 岐阜県土岐市に生まれる |
1984年4月 | 新日本プロレス入門 |
1984年9月1日 | 東京・練馬南部球場特設リングの後藤達俊戦でデビュー |
1987年3月 | ヤングライオン杯準優勝(優勝は蝶野正洋) |
1987年10月 | 海外遠征に出発 |
1988年7月 | 凱旋帰国し、同期の武藤、蝶野と闘魂三銃士を結成 |
1989年9月1日 | マサ斎藤とのコンビで第11代IWGPタッグ王者となる |
1990年7月 | A・チューリン、トニー・ホームらと異種格闘技戦を行う |
1993年9月20日 | G・ムタに勝利し第14代IWGPヘビー級王者となる |
1994年5月1日 | 藤波辰爾に勝利し2度目のIWGPヘビー級王座奪取 95年5 月まで9度の防衛の新記録(当時)を樹立 |
1997年4月12日 | デビュー戦の小川直也と対戦し敗れる |
1998年8月2日 | G1クライマックス初優勝 |
2000年4月7日 | 負けたら引退の小川直也戦で敗退。ファンの嘆願運動により8月に引退を撤回 |
2000年10月9日 | 東京ドームの藤波辰爾戦で復帰 |
2000年11月13日 | 新日プロを解雇されZERO−ONEを設立 |
2001年3月2日 | 両国国技館でZERO−ONEを旗揚げ |
2001年12月9日 | 小川直也とのOH砲を初結成 |
2001年12月15日 | 米国でNWAヘビー級王座を奪取 |
2003年2月23日 | G・ムタに勝利し第31代三冠ヘビー級王者となる |
2004年1月4日 | ハッスル1に参戦、ハッスルキングと呼ばれる |
2004年8月31日 | 右肩負傷のため長期欠場へ 盛岡で藤原と組み大谷&大森組と対戦、ラストファイトとなる |
2004年12月 | 右肩手術に成功 |
2005年11月25日 | ZERO−ONEの活動停止を発表 |
2005年7月11日 | 横浜市内の病院で脳幹出血のため死去。享年40歳 |
<タイトル歴>
タイトル | 期間 | 防衛 | |
IWGPヘビー級 | 第14代 第16代 第19代 | 1993.9.20〜1994.3.21 1994.5.1〜1995.4.16 1996.4.29〜1997.8.10 | 4 9 7 |
IWGPタッグ | 第11代 (マサ斎藤) 第26代 (平田淳嗣) | 1989.9.20〜1990.4.13 1995.7.13〜1996.3.20 | 3 6 |
三冠ヘビー級 | 第31代 | 2003.2.23〜2003.6.13 | 2 |
NWA世界ヘビー級 | 2001.12.15〜2002.1.6 | 2 | |
NWAタッグ | 第5代 (小川直也) 第7代 (小川直也) 第10代 (藤原喜明) | 2002.10.26〜2002.11.24 2003.4.29 2004.6.17〜2004.8.15 | 1 0 3 |
<橋本対小川 名勝負全記録>
第1戦1997.4.12 東京ドーム
○小川直也(9分52秒 スリーパーホールド)橋本真也×
小川のプロ格闘家デビュー戦。当初予定されていた橋本対ウエイン・シャムロック戦が中止となり、その代替カードとして行われた。猪木が小川サイドに付いたことに橋本は不快感を露わにした。橋本の蹴りに苦しんだ小川が、一瞬のスキをついてSTOからスリーパーで逆転の勝利を納めた。試合後、橋本は即座にIWGPのベルトを賭けての再戦を坂口社長に直訴し、すぐに大阪ドームでの再戦が決定した。
第2戦1997.5.3 大阪ドーム
IWGPヘビー級選手権
○橋本真也(10分20秒 TKO)小川直也×
橋本は「闘魂伝承」のテーマ曲、ガウンを捨てて、小川サイドについた猪木を強く意識して試合に臨んだ。ローキックで倒れた小川が立ち上がりかけたところに非情の顔面蹴りが炸裂し、橋本が勝利した。セコンドの佐山がタオルを投入し、TKOとなったが、試合後も小川は立ち上がれなかった。
第3戦 1999.1.4 東京ドーム
▲小川直也(6分58秒 無効試合)橋本真也▲
前回の対戦から1年8ケ月後、小川は新日のリングに上がり、巡業にもプロレスラーの新弟子として帯同したが、結局、新日と絶縁し、猪木が旗揚げしたUFOのエースにとなった。肉体改造に成功、柔道着も脱ぎ捨てた。新日対UFOの対抗戦として実現した3度目の対決は、小川が顔面パンチを見舞うなどの無法ファイトで橋本を圧倒。最後は倒れた橋本の顔面に小川がキックを見舞い、橋本がリング外で起き上がれなくなったところで無効試合の判定が下った。橋本は再戦を希望したが、坂口社長がUFOとの絶縁を宣言した。
第4戦 1999.10.11 東京ドーム
NWA世界ヘビー級選手権
○小川直也(13分10秒 TKO)橋本真也×
新日本の人事異動で坂口が会長に、藤波が社長に就任する。社長就任の挨拶でも橋本対小川戦の再戦実現を目標に上げた藤波が、猪木とのホットラインで因縁の再戦を緊急決定させた。因縁の再戦となった4度目の対決はNWA世界ヘビー級選手権として行われ、小川はNWAチャンピオンのテーマにベルト姿で登場。橋本は一度は脱ぎ捨てた闘魂伝承ガウンを着て入場。猪木に対する思いに変化が見られた。試合は、橋本の頭突き、ローキックに小川がたじろぐ場面も見られたが、最後は小川のSTOのラッシュで橋本がフラフラ状態。立会人の猪木が試合を止めた。
第5戦 2000.4.7 東京ドーム
○小川直也(15分9秒 KO)橋本真也×
引退を賭けて、まさに背水の陣でこの一戦に挑む橋本は、坊主頭にし、坂口と柔道特訓を行った。対する小川は猪木から「橋本を殺せ」と指令を受けているとうそぶく。両者のセコンドには猪木と坂口が付いた。試合では橋本がSTOを踏みとどまり、ローキックやDDTで小川を追い込む場面もあったが、最後はSTOの6連発に沈みKO負けを喫した。橋本の引退問題が取りざたされたが、猪木、坂口、藤波はそろって引退の必要なしとコメント。小川もUFOで歓迎するという発言をする。