VOL.152 みちのくプロレス15周年


設立
 和製ルチャをコンセプトに浅井嘉浩(現:ウルティモ・ドラゴン)をエースとしたユニバーサル・プロレスが母体。所属選手であったザ・グレート・サスケが東北地方でのプロレス振興を構想して、1992年10月1日付で株式会社みちのくプロレスを岩手県盛岡市に設立した。当初はユニバーサルの地方プロモーターの色合いが強かったが、新間寿恒代表らユニバーサル経営陣と選手との間に紛争が発生し、翌93年にはグラン浜田以外の全選手がユニバーサルを退団、みちプロに入団した。

旗揚げ
 1993年3月16日に岩手県矢巾町民総合体育館で旗揚げ。地域密着型プロレスを標榜し、東北六県を拠点に活動する。新日、全日に次ぐ古参の団体。

飛躍
 1994年にサスケが新日本プロレスで開催されたスーパーJカップトーナメントで、獣神サンダーライガーを破って準優勝。同じく新日本のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでスペル・デルフィンが準優勝。そのファイトが全国区で注目を集めた。さらに、三度笠に「みちのく一人旅」で入場するTAKAみちのくやSATO(現:ディック東郷)、テリー・ボーイ(現:MEN’Sテイオー)、獅龍(現:カズ・ハヤシ)の「平成海援隊」が人気となる。

選手離脱・分裂
 1997年TAKAがWWF(現:WWE)と、獅龍がWCWに移籍。1998年には東郷、テイオー、フナキもWWFへ移籍。サスケとデルフィンにも亀裂が生じ、1999年にデルフィン派が大阪プロレスを設立し、離脱。

伝説のユニット
 SATO(現:ディック東郷)、テリー・ボーイ(現:MEN’Sテイオー)、獅龍(現:カズ・ハヤシ)の「平成海援隊」はTAKAみちのく、船木勝一(現:フナキ)が加入し「海援隊★DX」と改名。中島半蔵、スーパー・ボーイらを加え、サスケ、デルフィンらの正規軍と抗争を展開した。TAKA、フナキらはWWFでもカイエンタイとして活動。現在はTAKAが主宰するKAIENTAI−DOJOに引き継がれる。
 サスケが1998年にケガによる長期欠場をきっかけにルードに転向。青SASUKEとなり、CIMA、望月らと大暴れしたのがサスケ組。ちゃぶ台と頭に乗っける魚の人形がマストアイテムだった。

転機
 2003年にサスケが岩手県会議員となり、新崎人生が社長に就任。2004年には闘龍門Xの選手を中心とした興行に切り替える。2006年には女子部として里村明衣子をエースにセンダイガールズプロレスを設立。デルフィンの大阪プロレスとの抗争も復活した。

現在
 サスケの後継者であるマスクマン遮那王がエースに成長し義経と改名。一時は議員として第一線を退き、引退も表明していたサスケが本格復帰。ヨネ原人が気仙沼二郎として復帰。ラッセ、南野タケシ、景虎、しばてん、めどちの怪奇マスクマンらの新世代が台頭。ヒールの佐藤兄弟、フジタJrハヤトらの「九龍」と抗争を展開。


15周年ノスタルジックツアー

2008年7月12日(土) 福島・福島市体育館
2008年7月13日(日) 青森・青森市問屋町ビックサイト
2008年7月18日(金) 山形・ウェルサンピア山形スケート場
2008年7月19日(土) 秋田・秋田市セリオン
2008年7月20日(日) 宮城・仙台市仙台港ビジネスサポートセンター「アクセル」
2008年7月21日(月祝)岩手・矢巾町民総合体育館