VOL.176 追悼 ラッシャー木村
ラッシャー木村 本名:木村政雄 1941年6月30日・北海道中川郡中川村出身 185センチ 125キロ
タイトル歴:IWA世界ヘビー、IWA世界タッグ、欧州タッグ
得意技:ブルドッキング・ヘッドロック、ラッシング・ラリアット、チョップ、回転足4の字固め
1964年(昭和39年)
10月 大相撲宮城野部屋から幕下20枚目で、日本プロレス入り。
1965年(昭和40年)
4月23日 高崎山猿吉戦でデビュー。
1966年(昭和41年)
3月 豊登の付き人を務めていたことから、アントニオ猪木が設立した東京プロレスに参加。
10月12日 蔵前国技館において東プロ旗揚げ戦で永源遥のデビュー戦の相手を務める。
1967年(昭和42年)
2月 東プロ崩壊で、マサ斎藤とともに渡米する予定だったが、素質を買っていた国際プロレスの吉原功代表に誘われ入団。
1969年(昭和44年)
武者修行のため初渡米。右肩の負傷で予定より10ヶ月遅れとなり、ストロング小林に遅れをとる。
1970年(昭和45年)
10月8日 大阪大会でドクター・デスと日本初の金網デスマッチを行う。以降「金網の鬼」と呼ばれ、金網戦は不敗。
1975年(昭和50年)
4月 マッドドッグ・バションを破り、IWA世界王者となる。以降、国際プロレス崩壊まで6年4ヶ月間エースに君臨。
1981年(昭和56年)
8月 国際プロレス崩壊後、浜口、寺西を伴い、国際軍団として新日本プロレスに殴り込み、大ヒールとなる。
1984年(昭和59年)
3月 第一次UWF設立に参加するも、10月に退団。
12月 ジャイアント馬場とのタッグで全日本プロレス最強タッグに参戦するが、仲間割れ。
1988年(昭和63年)
12月 馬場との抗争を経て、全日プロ最強タッグで再びタッグを結成。マイク・パフォーマンスで人気者となる。
2000年(平成12年)
8月5日 ノアの旗揚げに参加。
2004年(平成16年)
7月10日 ノア東京ドーム大会のオーロラビジョンで引退を表明。
「こんばんは」
1981年9月23日 田園コロシアム(新日本)
国際プロレスのエースとして新日本に殴り込んだが、あいさつから入るのが木村の常識だった。後の楽しいマイクパフォーマンスの原点がここにあった。
「兄貴って呼ばせてくれ」
1988年8月29日 日本武道館(全日本)
仲間割れから抗争の末、馬場との一騎打ちに敗れた後の一言で、馬場との義兄弟タッグ結成となり、マイクパフォーマンス人気も決定的なものとなった。
「永源ちゃん、あんたはいつもいい男。大熊ちゃん、あんたはよく見りゃいい男。渕選手、オマエは早く嫁もらえ」
90年代の全日本前座戦線で楽しいプロレスを展開。永源、大熊、渕への悪役紹介への突っ込みは定番となった。
「それはそれとして、開幕戦なんだから何でもいいから喋れよ」
喋りたがらない永源にマイクを強要するのも定番となった。
「皆さん、こんばんは。ごきげんいかがですか?今日からもう3月ですね。まだ寒いです。早く桜が咲くといいですね。お忙しい中、雨の中、多数のご来場ありがとうございました」
2003年3月1日 日本武道館(全日本)
現役最後の試合後のマイクも、ごく当たり前の時候の挨拶だった。
「体調を崩してしばらく休んでおりましたが、リングに戻れるように一生懸命リハビリをやってきました。ですが、思うように体調がよくならず、これ以上やると会社、そしてファンの皆様に大変ご迷惑かかると思い、引退を決意しました。ファンの皆さん、本当に長い間ご声援ありがとうございました。ごきげんよう。さようなら」
2004年7月10日 東京ドーム(ノア)
オーロラビジョンで突然の引退表明。こんばんはに始まり、最後の挨拶はさようならだった。