VOL.179 追悼 山本小鉄


山本小鉄 (本名:山本勝) 1941年10月30日生 横浜市出身 170センチ 100キロ
2010年8月26日午前6時42分 低酸素性脳症のため急逝 享年68歳

1963年7月19日 リキパレスにて北沢戦でデビュー
力道山が健在だった日本プロレス最後の入門者だった

1967年1月から星野勘太郎とともにアメリカ武者修行に
テキサス、ロス、テネシーでヤマハブラザースとして大活躍

1944年5月2日 長崎公会堂 第11回ワールドリーグ戦でゴリラ・モンスーンに勝利する大番狂わせが有名な試合
1968年10月1日 秋田市 バディ・モレノ戦がベストバウトといわれる
1979年1月29日 後楽園ホール 星野とのタッグで国際の草津&浜口に勝利しIWA世界タッグを獲得

猪木が旗揚げした新日本プロレスに最初から参加
1980年4月4日 川崎市体育館 星野とのタッグで鶴見&大位山と引退試合

テレビ解説者として、古館アナとの名コンビでゴールデンタイムのワールドプロレスリングを支える
新日道場では「鬼軍曹」として前田、高田、武藤、蝶野、橋本ら数々のレスラーを育てる
新人時代から危険人物だった前田日明のデビュー戦の相手に困り、自らが相手を務めた
プロレス学校の校長として天山、西村らを指導
サムライTVの企画で、大日本の選手も指導
ジャパン女子のコーチも務め、風間、神取らも指導
テレビの企画で、元気美佐枝も教え子である

中邑がアングルとのIWGPベルト統一戦を制した際は、認定書を読み上げながら男泣き
NJPWグレートレスラーズでプレゼンターとして、前田を「馬鹿息子」と紹介
昭和プロレスではリングに上がり、元気な姿を見せた
第5回スーパーJカップでは、男色ディーノに怒りまくる

糖尿病が持病だったが、ガンガン練習して食べたら、数値が良くなったというエピソードも
今も道場で練習を続け、見事な体を維持していた

告別式には新日勢に加え、佐山聡、前田日明、高田延彦、武藤敬司、古館伊知郎ら300人が参列
前田は「身をていしてプロレス界の礎になった人」と弔辞を読んだ