VOL.40 追悼 ジャイアント馬場の足跡


'38.1.23 新潟県三条市に生まれる。三条実業高校でエースとして活躍。プロ野球の巨人にスカウトされ、2年で高校を中退。巨人では3試合に登板して、0勝1敗。巨人を退団後、大洋ホエールズのテストを受けたが、負傷により頓挫。
'60.4 猪木らとともに日本プロレスに入門。
'60.9.30 東京・台東体育館の田中米太郎戦でデビュー。勝利を飾る。
'61.7 アメリカ武者修行に旅立つ。1年8ケ月の間に、アメリカマットでメインエベンターとなる。
'63.12 師・力道山が急逝。帰国後、日本プロレスのエーズとなる。
'65.11.24 ディック・ザ・ブルーザーを下し、第3代インターナショナル・ヘビー級王者となる。
'72.10.21 日本プロレスを退団し、東京・町田市体育館にて全日本プロレスを旗揚げ。
'73.8 力道山ゆかりの世界ヘビー級王座が、NWA配下の新団体PWFが認定するヘビー級王座となり、馬場が初代王者に認定される。
'74.12.2 鹿児島県立体育館で、ジャック・ブリスコを破り、日本人として初めて、第49代NWA世界ヘビー級王者となる。
'79.10.31 愛知県体育館で、ハーリー・レイスに勝利し、2度目のNWA王座奪取。
'80.9.4 佐賀スポーツセンターで、ハーリー・レイスに勝利し、3度目のNWA王座奪取。
'84.4.25 ハンセン&ブロディ組との対戦で首を負傷し、翌日の試合を欠場。デビュー以来、この時まで、3764試合連続出場を記録する。
'85.7 ハンセンとのPWF戦に敗れ、第一線を退き、ラッシャー木村とタッグを結成、悪役商会と対戦。
'90.11.30 試合中に左大腿骨骨折の重傷を負い、引退説が流れる。
'91.6.1 負傷を乗り越え、日本武道館で感動のカムバックを果たす。
'93.4.20 国内5000試合出場を達成。
'98.1.23 後楽園ホールで還暦記念試合を行う。
'98.5.1 全日本プロレスが単独で初の東京ドーム進出。新崎人生との対戦で大喝采を浴びる。
'98.12.5 風邪のため2試合を欠場したが、年内最終戦の日本武道館大会には、ラッシャー&百田とタッグを組み、渕&永源&菊地と対戦。最後の試合となる。
'99.1.8 癒着性腸閉塞の手術を受ける。このとき上行結腸ガンと転移性肝ガンを併発していることが判明する。
'99.1.31 午後4時4分、肝不全のため死逝。享年61歳。

今後の全日本

3月 6日(土) 日本武道館大会
4月16日(金) 日本武道館大会
4月17日(土) 馬場さんお別れ会 13:00〜 日本武道館
5月 2日(日) 「ジャイアント馬場引退記念興行」 14:00〜 東京ドーム