くどめパラダイスの軌跡
1992年(平成4年)

 1. 5 「土肥会長の目が死んでいる」の言葉を残し、TWC四天王の一角を成していた菊池選手が「挑土軍」(土肥に挑む軍団)結成を表明する。菊池選手のこの一連の行動は「大樹革命」と呼ばれる。
 6.20 土肥会長と菊池選手の亀裂は決定的なものとなり、遂に菊池選手がTWCを離脱、新団体くどめパラダイスを旗揚げする。団体名は菊池選手最愛の女性、工藤めぐみの著書から付けられた。
 8.22 TWCから引き抜いた矢代選手が入団し、飛躍的に勢力を拡大する。


1993年(平成5年)

 1. 2 TWCとくどめパラダイスの間で団体対抗戦の開催が決定。ルール問題で紛糾するも何とか決着し、無事調印式が行われる。
12.25 菊池選手が、前人未到の年間プロレス観戦100回突破を達成する。
12.31 老舗の意地と維新魂が激突したTWCvsくどめパラダイスの対抗戦は6勝6負の引き分けに終わる。


1994年(平成6年)

 1. 2 菊池選手と盟友矢代選手のタッグチームが、2人の名前から「大勝砲」に決定する。
 3.27 TWCvsくどめパラダイスの番外編、ラーメン博物館ツアーで和田選手がラーメン2杯でダウン。TWCで試練の十番勝負をクリア出来ずにくどパラに移籍した和田選手だったが、この頃から和田塾の塾長を自称し、くどパラも離脱したが、周囲からは認められなかった。
12.25 菊池選手が年間観戦102回の新記録を達成する。


1995年(平成7年)

 4.21 くどめが初の顔面ペイントを披露。しかし菊池選手には不評で「足を出さなきゃダメだ」の名言を残す。
 5.21 菊池選手が「K3カーニバル」(柳心空手道全国大会)で3位入賞。プロレス団体としての旗揚げを狙っているとの噂が流れる。
 6. 2 TWCが5周年、くどめパラダイスが3周年を迎える。それを記念して「激闘の5年史」が完成する。
11.18 菊池選手が年間観戦回数103回の新記録を樹立する。


1996年(平成8年)

 9.12 菊池選手が驚異のハイペースで4年連続年間観戦100回を達成。結局4年連続で自己の記録を更新し、遂に130回を突破した。
10.10 スペル・マロフィンがくどめパラダイスに正式入団。新人離れした大活躍を示し、「驚異の新人」と呼ばれる。
10.27 「K3カーニバル」で菊池選手がもう1つの顔「グレート柳心」に変身する。
12.23 くどめのクリスマスパーティーが開催され、菊池、マロフィン選手、TWCの小野選手が参戦する。くどめのサンタ姿に心奪われた菊池選手はくどめ引退後も団体を存続することを決意する。


1997年(平成9年)

 1.27 菊池選手がまたも大記録樹立。月間22回の最多観戦新記録を樹立。
 3. 1 菊池選手の年間観戦100回突破記念のテレカがようやく完成する。
 3. 9 菊池選手がくどめのイベントに参加。このときの合言葉「ハートにアタック!」を菊池選手がメンバーに強要し、仕事の話しで電話をしても合言葉を言うまで応じてくれないという困った事態になる。
 4. 6 菊池選手がくどめ引退イベントのマニアクイズで準優勝。マニア振りを証明したが、あと1歩でくどめとのツーショットを逃す。
 4.29 くどめが遂に引退。それを受けて、くどパラ最初で最後のビックイベント、くどめ引退追っかけツアー「ストーカーK〜逃れられない愛」が開催される。菊池、マロフィン選手、TWCから小野、阿南選手が参戦。
 6.13 TDC生え抜きの第3世代、岸原選手が入団する。


1998年(平成10年)

 1. 9 くどめと非道の結婚が報道される。大ショックを受けた菊池選手は団体の解散もあり得るとの見解を示す。
 1.22 菊池選手と矢代選手が、都内某所で極秘会談を行い、くどパラ解散問題が話し合われる。
 2.28 菊池選手がくどめパラダイスの解散を発表。6年間の歴史に幕が降ろされた。菊池、矢代選手はTWCに復帰。マロフィン、きしらー選手もTWCに入団。新軍団D.O.I.を結成することとなった。